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私が亀梨和也を担当する理由

ただ、ふと書きたくなった。

2005年から亀梨和也を担当する私が、なぜ亀梨和也を担当するのか、その真意に自分で向き合いたくなった。私の中にある担当として存在する亀梨和也の意義を見直すことで改めて亀梨和也を知りたい、亀梨和也を深めたい、そう思って書き始めるただの戯言である。地方に住むただの大学生の独り言だと思って軽くさらっと受け流してもらいたい。今の私が亀梨和也に対して思うことをただただつらつらと書いていく。

私はいわゆるごくせん出の亀梨和也担当である。ごく出の永遠の新規。テレビ画面に映る小田切竜を見て、怒涛の勢いで私は亀梨和也に転げ墜ちていった。当時小学四年生であった私は大体夜八時ともなれば就寝していた。それなのになぜかごくせんの初回を放送していたその日だけは九時を過ぎても起きていた。

そこで亀梨和也を見た。小田切竜を演じる亀梨和也を。衝撃だったのを覚えている。昔の記憶なんて思い出そうとしなければ思い出せないことが大半なのに、亀梨和也をテレビ画面越しに見たその衝撃だけは10年たった今でも鮮明に覚えている。目が離せなかった。儚く消えそうな存在感を放つ小田切竜を演じる亀梨和也を、当時小学四年生でありながら私は目でただひたすらに追っていた。

いわゆる一目惚れ。

今でも思う。そこで亀梨和也を見なければ私はきっと亀梨和也を担当することはなかったであろうと。亀梨和也に出会ってから今まで、一目でここまでの衝撃を感じた人に出会ったことはない。それはもしかしたら、亀梨和也をもうすでに心の中に担当として置いている私が、自分でも気づかないうちに他の人に魅了されすぎないようにフィルターをかけてしまっているせいなのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。偶然とは重なるもので、たまたま遅くまで起きていて、たまたまごくせんを見ていて、たまたま小田切竜を見た。それが亀梨和也だった。
偶然の連鎖が繋がった。私が小田切竜を演じる亀梨和也を見たあの瞬間から、私のジャニオタ人生はスタートした。

完全に最初は顔から入った。

私は亀梨和也に一目惚れしたのだからそれは否定できない事実である。でも顔が好みだというだけで(言い草)10年以上も同じ人を担当出来るだろうか。ここで私的に、あくまで私的に爆弾を落としてみる。私は田口淳之介くんの顔が好きだ。顔の好みだけならとっくのとっくに田口淳之介に担降りしているはずだ。そうそれくらい私は田口くんの顔の方が好みだ。亀梨和也よりも。なら、なぜ担降りしない?それはきっといつからか亀梨和也に対する担当としての存在意義が顔が好きだというそれだけではなくなったからなんだと思う。

私は2005年から亀梨和也を担当に置いているが、KAT-TUNのコンサートに行ったのは2014→2015のKAT-TUNカウントダウンコンサートが初めてである。ファンクラブ会員になったのも、TwitterKAT-TUN垢を作ったのも2014年に入ってから。亀梨和也を初めて見たのも2014年の12月30日。それまではお茶の間にいながらKAT-TUNを応援する東北の地方民であった。KAT-TUNに、亀梨和也に一度も会うことなく、それでも私は亀梨和也を担当し応援してきた。自分でもおかしいと思う。あまりにも遠すぎる存在であり、ただの一度も会ったことがないにも関わらず、一度も他のアイドル、芸能人、歌手、そういう人たちに亀梨和也が位置する担当という座を譲ろうとは思わなかった。

飽き性な私はドラマに影響され、友達に影響され、雑誌、コマーシャル、その他たくさんの誘惑によってその時々で好きだと思う芸能人がいたりする。だが、そんな私が変化することなく心に担当として位置させているのが亀梨和也だ。私にとって亀梨和也という存在は不思議なほどに確立されている。

なぜ私は亀梨和也担当なのか?

私が明確に亀梨和也を担当としている理由に気づいたのは年末のカウントダウンコンサートを見たときである。30日。私が初めて亀梨和也を見たのはビスタ席から。正直、肉眼ではまるで表情など認識出来る距離ではなかった。モニターを見てようやくどんな表情をしているのか認識出来る位置。念願の初対面は驚くぐらいの距離感だった。

それでも私は彼に魅入った。亀梨和也をただひたすらに目で追っていた。そう、私が亀梨和也に堕ちたあのときと同じように。

そこに存在する彼は私がテレビ画面越しに抱いていた私の理想のままのアイドル亀梨和也だった。

きっとこれが私が亀梨和也から離れられない理由である。亀梨和也が魅せる、亀梨和也が演じるアイドル亀梨和也が好き。それが私を亀梨和也担当にさせる亀梨和也の計り知れない魅力である。

テレビ画面越しに応援していた10年あまり、私が亀梨和也に抱くイメージの中の、亀梨和也が魅せる仕草も行動も歌い方もファンサービスも、それは全て言ってみれば私が作り上げたものだった。しかし、初めて目の前にした亀梨和也という彼は私の作り上げた亀梨和也像のままに存在していた。
これは想像でしかないけれど、もしかしたら私が抱くアイドル亀梨和也像を生で見た亀梨和也がアイドルとして演じていなければ、カウントダウンコンサートで担当を降りていたのかもしれない。でも亀梨和也は私が彼に一度も会うことなく、それでも抱き続けた理想通りの亀梨和也だった。悔しいくらいに、彼は亀梨和也として輝いていた。

アイドル亀梨和也である真髄を私はKAT-TUNのコンサートで知った。

今まで彼に会わなくて良かった。そう思った。亀梨和也という理想を追い求めていたからこそ私は亀梨和也を追いかけ続けることができた。担当として、テレビ画面越しに彼を追いかけ続けることが私の今までの亀梨和也を担当する意味だった。テレビ画面越しですらキラキラ輝くアイドル亀梨和也に私は自分でも気づかないうちに、入り込んでしまっていた。テレビ画面越しに見るアイドル亀梨和也が好きだった。

でも彼に会えて良かった。そうとも思った。私の理想通りのアイドル亀梨和也を生身で知ることができた私はまた新たな気持ちで亀梨和也を追いかけることが出来る。私の理想を提供してくれるアイドル亀梨和也に私はまた幾度となく恋をする。テレビ画面越しでも生身でも彼は幾分も違わずアイドル亀梨和也であるのだから。

亀梨和也が魅せる世界が好き。彼が紡ぐ言葉が好き。彼が纏う雰囲気が好き。彼の作り出す考え方が好き。彼の不思議な価値観が好き。彼の独特な感性が好き。彼の彼にしか成し得ない仕草が好き。彼を完成さしうる全てが好き。

それでも私はアイドルとして存在する亀梨和也が一番好き。彼が完璧なまでに演じるアイドル亀梨和也が何よりも好き。彼がアイドルとして表現しうる全てが私を亀梨和也担当にする。

騙されているのかもしれない。亀梨和也という人間に。私が亀梨和也という人間が作り出す、アイドル亀梨和也に魅せられていると自覚しているのだから、騙されているのはきっと事実なんだろう。でも騙されていると分かって騙されるのも悪くない。亀梨和也に騙されている私が、私は好きだ。騙されている間、私は永遠に亀梨和也に翻弄される。

亀梨和也っぽい、亀梨和也らしい、亀梨和也ならこうする…そういった「亀梨和也」という確立されたカテゴリーを持つアイドル亀梨和也に魅せられて翻弄されてときめいて。直接だろうと画面越しだろうと変わらず、私にアイドルを提供する彼が私は大好きである。

私が亀梨和也を担当する理由。

それは、亀梨和也が演じるアイドル亀梨和也が何よりも好きだから。亀梨和也がアイドルを演じ続ける限り私はきっと亀梨和也を担当し続ける。私の担当は今日も変わらず亀梨和也なのである。